私が横浜ランドマークタワ―の他、
ホテル、レストラン、カフェラウンジ等のBGM演奏の場から、
ご高齢者と接する場での演奏に幅を広げたきっかけは、
大好きだった祖母の死でした。
2歳の時から一緒に住み、私は間違いなく生粋の『おばあちゃん子』。
大学を卒業し、地元に帰郷したことを一番喜んでくれたのは祖母であったのにもかかわらず、
デビュー直後というのは、次々と演奏のオファーが入る時期で、
本番、練習、本番、練習、と毎日ピアノに明け暮れて、あまり祖母と会話する暇がありませんでした。
ある時、祖母は体調を崩し、入院。
「何かあったらすぐ連絡して」と伝え、
私は後ろ髪惹かれる思いで、その日は都内のホールでのコンサートに出演すべく、
新幹線で移動しました。
病院から連絡が入ったのは、その翌日の朝。
立春らしい、暖かな快晴でした。
私にとって、こんなに大きな出来事が起こった日でも、
世の中は、空は、いつも通りなんだな・・・・と、当たり前なことが不思議に思えたことを今でもよく覚えています。
あと一日前だったら・・・・・。
いつも私を応援してくれていた祖母が、私のコンサートが無事に終わるのを待ってから、安心して旅立ったのでしょう。
最期の最期まで「迷惑かけたくない」と常々言っていた祖母らしい旅立ち方でした。
そこから何年も、何年も、(あの時私が祖母に風邪をうつしてしまったのかも・・)と苦しみ、もがき、一人で頻繁にお墓に行っては、祖母に「苦しませちゃってごめんね」と語りかけるような状態でした。
ある時「認知症にピアノが効果絶大」ということを耳にし、
元々医学に進むことも考えていた私は、
「ピアノと脳科学」の研究をしている大学教授の講座を受講したり、本を読んだり、
その後、高齢者向けの音楽指導士の資格も取得しました。
介護士のような立派な資格のない私が、今このようにご高齢の方々に、リラックスしていただいたり、鍵盤に触れて頂いたり、ピアノで療法をして差し上げることができる、というのは、
ピアノを専門に学び、脳科学との関連性を学び、なおかつ祖母の死の無念さを経験した私にしかできないこと、私だからこそできること。
そう自分の気持ちに自信と、誇りを持つことで、前向きな気持ちになりました。
私が尊敬しているある介護士さんが「おばあさんも、きっと、ご自分の死をもう悲しんでほしくない、って思っていると思いますよ」といってくださり、施設で演奏やピアノレッスンをするきっかけをくださいました。
一番最初にきっかけをくださいました『グランケアあざみ野』の皆様、
心から感謝しています。
今私が接している皆様は平均95歳以上。
いつも、皆様全員が自分の祖父母だと思っています。
祖母もきっと、天国で喜んでみていてくれることでしょう。
野球中継を見ながら!(祖母は大の巨人ファンでした・・・(笑))
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